1962年10月28日午前9時、ソビエト連邦首相 フルシチョフ は、キューバからの核ミサイル撤去を発表した。
アメリカ合衆国大統領 ケネディ が、交渉に成功した瞬間である。
1959年1月の革命によりキューバの政権を握ったカストロ首相は、ソビエト連邦との接近を図り、
アメリカとの緊張状態がつづいていた。
1962年10月、キューバに配備された、中距離弾道ミサイルを発見したアメリカは、猛烈に反発を強め、
ソ連船をキューバ沖で海上封鎖し、国際世論に訴えると共に、ソ連との全面戦争に備えた。
10月25日に行われた国連安全保障会議において、ソ連国連大使ヴァレリアン・ゾーリンは、
アメリカ国連大使アドレー・スティーブンソンが示した、キューバのミサイル基地を撮影した写真により、
答えに窮することとなった。
そして、フルシチョフによる、ミサイル撤去の決定となった。
中国の大返し
1582年6月2日、本能寺において織田信長は、明智光秀によって討たれた。
備中高松城を水攻めしていた羽柴秀吉は、信長の死を秘匿しつつ、毛利方の外交官 安国寺恵瓊 を
仲介役にして、和議を成立させ、明智討伐の為、強行軍で近畿に引き返した。
江戸城無血開城
1868年3月、山岡鉄舟は駿府で西郷隆盛と予備会談に臨んだ。
鉄舟は、官軍警備の中を
朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通ると大音声で堂々と歩行していったといわれる。
その5日後、勝海舟と西郷隆盛とのあいだで、江戸城開城と徳川宗家の助命が交渉の結果成立した。
国内外いつの時代にも、事態が急変する陰には大きな交渉事があります。
ビジネスの世界、イヤ、日常の生活も交渉によって成り立っています。
近所の八百屋で値切るのも交渉です。
○○時までに出前を頼む! というのも交渉です。
交渉はあらゆるところにあり、交渉の上手い下手によって、結果は大きく変わるものです。
30年以上の仕事人生を振り返って見ますと、ずいぶんいろんな事がありました。
たいへん辛い思いをしたこともあります。ですが、なんとか今日まで生きてこれたのも、多くの人との関わりあいによるものです。
ある日、ふと気が付きました。
たいして取り得も無い自分が、失敗ばかり重ねた自分がこうしているのも、他人様のおかげのなのですが、他人様が手を差し伸べてくれたのは、そうせざるを得ないように働きかけたからなのです。
自然にそんなことをやっていた自分に気が付きました。
自然にやっていたある方法・・・・・これを交渉術と呼んでいます。
このサイトでは、様々なビジネスシーンで見られる交渉の局面に焦点をあてて、交渉成功のポイントを明らかにしていきます。